AEDを使った日の記憶
くれたけ心理相談室の名古屋ルームに
AEDが設置されたと聞きました。
それ耳にして
昔の出来事、私がAEDを使用したことを思い出したんです。
以前、勤めていた職場で
目の前で来客の方が突然倒れたことがあります。
呼びかけにも反応せず
呼吸や脈もはっきりしない状態でした。
その場には人が何人もいましたが
空気は一瞬で固まりました。
悲鳴を上げる人
立ち尽くす人
恐怖とパニックで涙を流す人
誰もが動けなくなっていました。
あとから考えると当然だと思います。
目の前で人の命が揺らぐ瞬間に
普段の生活で出会うことはほとんどありません。
怖い。
関わって悪化させてしまったらどうしよう。
責任を負うことになるのではないか。
そう感じるのも、自然な反応だと思います。
そんな状況で私が動けたのは
勇気があったからではありません。
動物の命に関わる仕事をしていた経験があり、
急変した状態を見ること自体に慣れていたんです。
それが良いことか悪いことかは別として、
本当にそれだけの違いでした。
ただ、ひとりでは全て対応するのは難しく
たまたま居合わせた看護師の方に現場を任せ
私はAEDを探しに走りました。
けれど、なかなか見つからない。
フロアを行き来し、ようやく教えてもらい
別の階で見つけて戻ったことを覚えています。
AEDも活用しつつ処置をしていると
救急車が到着。
そこでひとまず落ち着きました。
そのあと、周囲から声をかけられました。
「よく動けたね」
「怖くなかったの?」
「もし悪化したらと思わない?」
正直なところ、必死で
そこまで考える余裕はありませんでした。
でも、そう思う気持ちはよくわかります。
あのとき動けなかった人たちが
冷たかったわけではありません。
むしろ逆で、想像力が働いたからこそ
体が止まったのだと思います。
人は予期せぬことが起きたとき、
心や体は固まってしまうから。
言葉をかけたほうがいいと分かっていても動けない。
関わりたいのに踏み出せない。
傷つけてしまうかもしれないと思うほど、近づけなくなる。
それは、当然の反応です。
ただ、そこに知識や経験があると、
行動のハードルは少し下がります。
だからこそ、“備え”に意味があるのでしょう。
それに、同じことは
日常の中でも言えると思っています。
誰かが沈んでいるとき、
声をかけたいのにかけられない。
言葉を選び続けて、結局何も言えない。
そんなとき、止まってしまう自分を
責める必要はありません。
そしてそこから準備をしていけたなら
いつか動ける日が来るはずですから。
こんなふうにあの出来事を思い出すたびに、
人が動けなくなる理由を
少しだけ想像できるようになりました。
それは冷たさなんかではなく
思いやりや優しさだということを。
投稿者プロフィール

- くれたけ心理相談室(仙台支部)心理カウンセラー
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宮城県仙台市・富谷市を拠点に活動している心理カウンセラーです。
日々のモヤモヤ、家族のこと、進路やキャリアのこと。
どんなに小さなことでも聴かせてください。
無理せずゆっくり、一緒に整えていきましょう。
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